[中国史]渤海高氏が非漢人だと思う瞬間
... 北斉が建国されると、文宣帝の正妻として 皇后 に立てられるはずであった。しかし高隆之と高徳正は、李祖娥が 漢人 の婦人であるため、 皇后 に立てることに反対した。 ... 〈文宣帝が 中宮 を立てようとしたとき、高隆之と高徳正は「漢の婦人は天下の母となす ...
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東魏の菩薩像
... 東魏を分裂させたのは 高歓 であり、北斉をたてたのは、高歓の息子である 文宣帝 ですし、北斉の王室ときたら悲劇の 蘭陵王 の物語もありますが、美貌と嗜虐の一族で、そのような時代に美しい仏像(もしかしたら ...

+ 北斉 初代 中国帝王一覧 皇帝
東魏の権臣・高歓の次子。長兄の高澄が部下の蘭京によって殺害され、後を継いだ高洋は蘭京を誅殺し、兄の仇を討った。やがて、着実にその後継者としての地位を固め、孝静帝 (東魏) 孝静帝により丞相、斉王に封じられた。しかし高洋は傀儡皇帝でしかなかった孝静帝の臣下としての地位に満足せず、550年、23歳の時に孝静帝を廃して帝位に即き、北斉を建国した。
治世当初は政務に力を注ぎ、楊イン 楊愔を登用して州郡の削減と官僚の削減、加えて富国強兵政策を実施し、農業、塩鉄業、窯業を中心にした経済を背景に、北斉を短期間の内に国家として成長させた。軍事面では柔然、契丹、高麗などを攻撃し勢力範囲の拡大も実現している。
文宣帝 (北斉)の詳細