拓跋珪関連エントリー

第4回大幇会

... 魏晋南北朝期を舞台にした武侠物で、拓跋珪・符堅・姚萇・劉裕・桓玄・謝安といった実在の人物が多く登場するのですが、特に北朝系の人々のナリが尽く『北斗の拳』の悪役みたいになっており、めちゃくちゃツボにはまりました。 ...

第4回大幇会

『中国の歴史 5 中華の崩壊と再生 (魏晋南北朝)』

... 曹操・孫権・劉備が建国 胡漢の対立と融和 胡族、漢族双方のコンプレックス 前秦・符堅の失敗と北魏・拓跋珪の成功…征服民懐柔と部族解放の意味 崔浩の目指した次代のビジョン 太武帝と景穆太子の闘争の意味 太武帝の胡族でもなく、漢族でもなく ...

『中国の歴史 5 中華の崩壊と再生 (魏晋南北朝)』

読書感想-松下憲一『北魏胡族体制論』

... 386年正月拓跋珪は代王に即位、4月に拓跋珪は魏王に改称。 386年拓跋珪(道武帝)は群臣に国号を議定させ、群臣は「代」を国号とすべきと主張した。すなわち「我が国は万世に受け継がれる基礎を雲代にひらいた。 ...

読書感想-松下憲一『北魏胡族体制論』

[中国史]黄河をわたれ!

... お馬さんに乗った大軍が凍結した 黄河 をわたっていく話があったような気がするのだが、いざ探すとなると、見つからない。 とりあえず北魏の初期の参合陂の戦いのときに、 拓跋珪 が凍結した河をわたってるってのは分かった。 http://baike.baidu.com/view ...

[中国史]黄河をわたれ!

北京、上海編3

... 鮮卑は五胡十六国時代に代国を建国し、一時前秦に滅ぼされたが拓跋珪(道武帝)は、前秦が敗戦して弱体化したことを期に386年 ... 中国の仏教については、北魏の太祖道武帝(拓跋珪、在位は398~409年)の時代から、「天子則ち如来」という ...

北京、上海編3

拓跋珪とは?

『道武帝』より : + 北魏 初代 中国帝王一覧 皇帝
道武帝(どうぶてい、371年 - 409年)は、北魏の創始者。廟号は太祖(在位:398年(天興元年) - 409年(天賜6年/永興 (北魏) 永興元年))。姓は拓跋(たくばつ)、諱は珪(けい)。
鮮卑拓跋部の創始者である拓跋力微の玄孫である。拓跋鬱律(平文帝)の曾孫で拓跋什翼ケン 拓跋什翼犍(高祖)の孫。鮮卑拓跋部の拡大に努めた拓跋猗盧は従曾祖父(高祖父・拓跋力微の甥)である。拓跋翳槐は大伯父に当たる。
371年に父の拓跋寔君は、武将の長孫斤(鮮卑姓は賀抜か賀若部)の反乱によって落命したという。さらに376年には祖父の拓跋什翼犍も庶長子(拓跋寔君の兄)によって後嗣問題で殺害された。このため、弱体化した拓跋部の代 (五胡十六国) 代は奚 庫莫奚と結んだ前秦の苻堅によっていったん滅ぼされて前秦の支配下に入った。祖父と父を失った幼い拓跋珪は生母の実家である鮮卑賀蘭部の東部大人であった外祖父の賀蘭野于を頼ったという。

拓跋珪の詳細